都内をくまなく歩き倒す散歩企画「東京一人散歩」。
今回は、浅草の裏手・吉原の旧遊郭街とその周辺を歩いてきました!
江戸時代から続く日本最大の遊郭「吉原」。
最近は人気アニメの影響もあって、遊郭に興味を持ちこの地を散策する人が増えているらしいのです。
自分も前々から一度は散策してみたいと思っていた場所だったので、気合を入れて早朝に起き、三ノ輪駅〜南千住駅というルートで歩いてみましたよ。
若干ディープな内容ですが…ゆる〜りとご覧ください!
三ノ輪駅〜吉原を歩く
スタート地点は地下鉄日比谷線「三ノ輪」駅。
吉原の最寄り駅、というとこの駅が挙げられる事が多いですね。
もちろん目的地によっても違いますし、散策の場合はどういう行程かにもよりますが。
時刻は朝7時5分。
この土地の性質上、出勤途中のサラリーマンの姿などはまばらです・・・
最寄り駅とはいえ、ここから吉原界隈はおよそ800mも南へ下ることになります。
その際に通る道はこの「土手通り」。
ちなみになぜこんな早朝から動き出しているのかというと、私のようにこうして街の風景にカメラを向けて散策している人間は特に、街にいる人…とりわけ女性を写真に収めないよう配慮しなければならないのですね。
今も営業している風俗店は早い所だと昼前から開店するらしいので…観光目的でうろつくのはお店の出勤前となるこの時間帯がベストとのことなのです。
道の先にはスカイツリー。
下町×スカイツリーの風景ってやっぱり味があるなぁ。
そんな事を思う傍ら右手に現れたのが『下町人間庶民文化館』!
気になる…味わい深すぎる…
そして駅から歩くこと約10分。
名実ともに吉原の入口となる場所、「吉原大門」交差点に到着しました。
この交差点の南西に『見返り柳』と呼ばれる一本の柳の木があります。
遊郭から帰る男が後ろ髪を引かれる思いで振り返る場所というのが名前の由来。
樋口一葉の「たけくらべ」にも登場するのです。
まあ、季節的な問題かもしれないのですが柳の木は大分さみしい感じでした…。
すぐ横にあるのがガソリンスタンドというのが、なんとも言えず諸行無常の響きあり。
さて吉原大門交差点から遊郭へ向かう道中はくの字のカーブになっていますが、ここもまた有名な『衣紋坂(えもんざか)』という場所なのです。
カーブになっているのは入口から遊郭の様子が覗けないようにするためなのだとか。
そしてその先にかつては豪奢な「大門」が存在したわけですが、今も申し訳程度に「よし原大門」と書かれた2本の柱が立っています。
自分的にはこれでも十分に風情を感じるなぁ。
そして門の先の通りの景色。
雑多な風景と捉えられるかもしれませんが、自分には在りし日の華やぎを今も受け継いでいる街というように見えます。
古くからの建築を受け継いでいるその手のお店。
歴史遺産やな〜。
そして由緒ある『吉原角海老』!
もはや「格式高い」という表現がふさわしい。
ふいに数段の階段が現れ段差が出来ている場所があります。
遊郭は少し高い場所にあり、その周りの囲むように『お歯黒どぶ』という溝があったとされています。
遊女たちが逃亡出来ないようにしていたわけですね。
どぶの遺構とされる石垣が少しだけ残っていました。
その北にある「吉原公園」も、入口に段差があり遊郭であった名残が顕著です。
吉原三大妓楼の一つ『大文字楼』があった跡地だとか。
そこから西に行くと『吉原神社』があります。
ここはかつて遊郭内に祀られていた稲荷社5社を合祀したもの。創建は1872年(明治5年)と比較的新しいです。
また「浅草名所七福神巡り」の一ヶ所でもあります。
そこからさらに南西方向に道を下ると、賑やかしくのぼり旗が立っている神社があります。
これが『吉原弁財天』です。
ここはかつて弁天池があり、関東大震災で大火に襲われ逃げ場をなくした遊女たちおよそ500人が、池に飛び込み息絶えたという悲しい伝説があります。
小高い塚の上では観音様が微笑みをたたえながら、遊女たちの魂を慰めています。
この観音様が立っている塚の後ろ側の柵は、かなりどぎつい紫!金色の卍の装飾もついています。その横にはピンクののぼり旗。
うーん…土地柄には合ってるかな…。
神社参拝の後は街の小道を巡っていきます。
現役のお店が立ち並びます。ええギラギラ感。
古い家屋も多いのですが、
「ここもそうだったのかな…」
と思いを馳せたくなる建物がちらほら。
おおっ…この建物はすごい。
壁面の洒落た作りはもちろん、古めかしい質感に記憶が宿っている。何を訴えかけているような感じもします。
古い建物は次々と再開発に飲まれて消えていくので、一期一会に感謝せねばなりません。
なんだこの建物はっ!!
落書き…というわけではなさそうだが、いささか戦慄した。カメラを向けるどころか、視界に入れるのさえ躊躇してしまった。こわい…
古めかしすぎる「小便しないで下さい」の看板。
時代が時代なら、VOWに送りたいね。
山谷〜南千住駅を歩く
遊郭街を一通り巡り、土手通りに戻ってきました。
ここからは土手通りより東のエリアを巡っていきます。
1889年(明治22年)創業の老舗『土手の伊勢屋』。
面白い作りの建物です。
そこから少し北に行った交差点の角に、『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈の像が立っています。
実は「あしたのジョー」という作品の舞台となっている場所が、ここ・山谷(さんや)だと言われているんですね。
山谷は戦後の高度経済成長期に、日雇い労働者が集まる「ドヤ街」が形成されていたことで有名ですよね。
今回はこの街のメインストリート(?)「いろは会商店街」を東に歩いていきます。
ここには何の予備知識もなく来たのですが、後から調べたら2018年までアーケード街だったようですね。
アーケードはなくさらっとした商店街ですが、それなりの華やぎは感じました。
山谷の地名を冠した酒場?
三角の看板に味があります。
オモチャ屋さん?横に「自慢 あられ煎餅」の文字。
あったな〜昔、そういうお店(笑)。
落書き?
表情が良い(笑)。
外階段のピンク色の屋根がサイケデリック。
カーブ状に凹んだ看板。
南の小道に目をやると、その先にはスカイツリー。
スカイツリーと下町の情景が似合う理由の一つに、スカイツリーと電信柱の相性が良いのかな?とふと思いました。
商店街を抜けて大通りを北に進みます。このあたりから台東区→荒川区になります。
少し進むと『泪橋(なみだばし)』という交差点が現れました。
昔「思川」にかかる「泪橋」という橋が実在していたようですが、今は橋も川も何の形跡もありません。
前述のあしたのジョーの中で『泪橋を逆に渡る』というセリフが登場することでも有名。
名前の由来としては、ここの北に行った所にある『小塚原刑場』に送られる罪人とその身内が、今生の別れに涙したという所から来ているそうです。
交差点角にまたすごい建物がありました。
どういう窓の配置?
今回古い建物ばかりに衝撃を受けてきましたが、現代建築も侮れません。
泪橋からさらに北に進むとその先に「南千住」駅が見えてきます。
そろそろこの旅も終わりに近づいてきていますが、最後に例の場所に立ち寄りましょう。
泪橋の名前の由緒でもある『小塚原刑場跡』です。
南千住駅のガードのすぐ南側にあり、現在は『延命寺』というお寺の境内にあたります。
ちょっと朝早すぎたのかもしれませんが、門が閉まっていて入れなかったので、遠くからお地蔵様をパチリ。
このお地蔵様は『首切り地蔵』と呼ばれています。
江戸時代の処刑場の一つであった小塚原刑場では、明治に入って廃止されるまでにおよそ20万人に対して刑が執行されたそう。
刑の内容は磔・斬首・獄門などで、死体の臭気に満ち野犬が食い散らかす地獄のような場所だったとか・・・
吉原・山谷と前々から興味のあった場所を歩けたので、非常に充実感にあふれた散歩でした。
いや〜土地柄はディープでしたが、やはり早朝散歩はいいなー。
時刻は8時20分。
清々しい気分で帰路に着くのですが、この時はまだ、この後日比谷線のまさしく地獄の如き朝の通勤ラッシュに巻き込まれることなど知る由もないのであった・・・。